サビ残当たり前の低賃金会社辞めたら親に捨てられた話。ータダのプロフィール

  • タダ
  • 1996年4月25日生まれ
  • 南国育ち
  • 専門学校卒業後、地元の企業に就職
  • 3ヶ月で退職
  • 現在は叔父のところでバイトしながらブログを書いている
  • 趣味は勉強、筋トレ、スポーツ観戦(野球、ラグビー、バスケ)、ゲーム

たった3ヶ月という短い間の社会人生活、振り返ってみると本当にきつい3ヶ月だった。

12時間労働あたりまえ。先輩はひどいときは夜11時ごろまで会社に残ることが1週間続き、休日出勤も普通にある。

それでいて残業代は、ほぼ「0」

毎月の出費が7万円に対し、給料は手取り10万円。

手元に残るお金は3万円。奨学金の返済が始まれば残るお金は1万5千円。

「やってられない」と思い会社を辞めたら、親に見捨てられ

僕は今までの人生と決別した。

順風満帆の社会人生活のスタート

僕は父のコネで就職した。

会社の人たちはみんな父のことを知っている。

だから僕としても仕事はとてもやりやすく、最初は楽しかった。

入社前の新入社員研修時、「うちの会社は信用を第一としていて、サービス残業はもちろんない」と聞かされていたし、地元でも名のある企業だったため、僕自身この会社を信用していた。

地元だけあって友達も多いし、プライベートも充実。

彼女との将来的な結婚も考え、貯金もしていこうと意気込んでいた。

仕事でも、試用期間ながら営業で実績も作ることができた。

本当に充実していて、とても楽しかった。

 

 

…最初の頃だけは。

入社して1ヶ月で現実を知った。

入社して1ヶ月が経ち、たくさんの面で現実を知った。

まず、仕事面。

朝はいつも始業時間40分ぐらい前に行って掃除等をしてた。

そんなある日、人事部長から各店舗に電話があった。

「新入社員は遅くとも始業時間一時間前には来させるように。」

始業時間一時間前に来てもやることは掃除くらいで特にすることはないだろうと思ったが、これが社会人なのだろうと思い、しっかり次の日からは言われた通りに出勤した。

残業も少しずつ増え、夜7時半ごろまで仕事をするようになった。

そんなある日、僕は持病のアレルギー性鼻炎が発症し、熱まで出たため一日会社を休んだ。

次の日、専務取締役から怒られた。

「お前が休んだらお客さんに迷惑がかかるだろうが。考えてくれ。」

僕はまだ研修生であるにも関わらず、一日休んだくらいで、店長ならまだしも、なぜわざわざ役員が怒りに来るのか。

それに専務も体調を崩して何日か休んでいたではないか。

 

専務に怒られながらも給料日になり、初給料が振り込まれた。

 

9万円。

一日休んだのもあったが、初給料は9万円だった。

皆よく「初給料は〇〇に使った」などというが、僕は借金の返済に使った。

まず、自動車学校のローン。そして母親に専門学校の学費分の返済。

それで基本的には6万ほど飛ぶ。

「やばい。これじゃ貯金なんかできねーじゃん。しかも、残業代はどこいった」

サービス残業の横行。給料の低さ。上層部の平社員の扱い方。

それが僕が知った仕事面での現実。

仕事よりストレスの実家

僕は母子家庭。母親と、弟2人と、あとは母の彼氏。

母の彼氏はパチンコで生計を立てるという化け物(とはいえ、不安定であるため負けてお金がなくなることもある)。

母もそれにつられて以前よりもパチンコに行く頻度が増えていた。

母がパチンコに行くからと、夜ご飯は弟の分も含め、僕が仕事終わりに作らされることも多かった。

土日の休みも、弟の部活の試合のために片道1時間くらいかかる道を送り迎え。

もちろん母はこの間もパチンコ。

 

パチンコばかり行って、それで僕から毎月学費の返済分振り込め、ってなんかおかしくないか

百歩譲って僕からお金を取るのはまだいい。

でも、高校生の弟にまで、バイト代の半分を渡すよう要求していた。

世間から見れば僕の母は女手一つで男三人を育てるすごい親。

しかし、現実はパチンコばかりで、僕ら息子からお金を取り、僕をパシリに使う母親。

これが家庭の中で見えた現実。

それが嫌で、早く家から出てもっと給料がいいところに転職しようと思った。

退職の意思表示。

転職しようと思った僕。

でも、父のコネで入社していたためなかなか「辞めます」と言い出せなかった。

その間も実家と職場でのストレスは募っていく一方。

そんな中、会社側が退職予定のアンケートを実施した。

僕はこのチャンスを逃すまいと、転職先を見つけ引っ越し等の準備もしようと思い、余裕を持って2ヶ月後の退職を予定しているとアンケートに記入した。

その2日後、人事部長に呼ばれた。

なぜ二ヶ月後なのかを聞かれ、理由を答えた。

すると次の日

 

「二ヶ月後に辞めるのなら、もう今すぐ辞めてくれ」

 

その週での退職が決まった。

会社の都合らしい。あまりにも急すぎて、僕は頭が真っ白になった。

試用期間中であったため、解雇にはならない。

それゆえ、保険等も出ないため、文字通り「一文無し」となった。

辞めようと思った理由、会社の実態、すべてを親に話した。

僕をその会社に入れようと頑張ってくれた父は、最初こそ驚いた感じだったが最終的には「お前が決めた道なら頑張れ、サポートもする」と理解を示してくれた。

だが、母は違うようだった。

どうやら、僕から学費の返済分を取れなくなることが気に入らないらしかった。

僕としてもあまりに急すぎて立ち直れなかったが、これじゃダメだと思い、叔父の職場で手伝いをするようになった。

その間も、転職サイトで条件に合う転職先を見つけようと必死に探した。

けど、気に入ったところを見つけても「また前の職場みたいなところだったらどうしよう」となかなか一歩踏み出せないでいた。

そして、親に捨てられる。

そんな中、母への学費返済の日がやってきた。

その月は会社を辞めた月。手持ちがなく、母に学費を返すことができなかった。

母には今月は無理だと言っていたけど、母はわざとかのように「は~、お金がない」と僕の前で言ってはパチンコに毎日のように行っていた。

 

確かに僕の学費の返済とはいえ、お金がない人が普通パチンコに行かんでしょ。それで息子からお金返してもらおうってするのおかしくない?

 

と、母に言った。

 

すると、母からの返事は「毎月のお金が僕から振り込まれてさえいれば文句は言わない」とのことだった。

母はこんな感じだったのだが、母の彼氏からはこんなことを言われた。

 

あんたは一回「土」食べるぐらいの経験した方がいい。

 

要するに、それぐらい貧乏になっても母にお金を返せ、ということ。

母が普通の人と同じように働いていたら、僕も「あ、学費返さないと」となるでしょうが、正直パチンコばかり行ってる母に「土」を食うぐらいの貧乏になってまでお金を返そうとは思わない。

唯一頼れる父も、新しい奥さんに行動を制限されていて、まともに連絡を取ることさえままならない状況。

母にはお金だけ毎月返せと言われ、母の彼氏には「土」を食べる経験をした方が良いと言われ、父とは連絡が取れず、

僕は、今までの人生と決別することを決めた。

新しい自分としての第一歩

今までの人生と決別すると決めてからすぐさまこのブログを立ち上げた。

今までの僕なら、ブログを立ち上げようとも思わなかったし、変なプライドが邪魔して周りに本当のことも言えなかったと思う。

でも、一度「今までの人生と決別しよう」と決めてからは何でもできるような気がしてならない。

そして、ブログを通じて新たな夢もできた。

 

僕のように、いろんなことに苦しんでいる人たちの支えになること。

 

僕は楽しみながら苦しみながら、僕の考えや僕の言葉をこのブログで伝え自由を求める。

そんな僕のブログを見て

「役立つ」

「勉強になる」

「面白い」

「頑張ってほしいし、自分も頑張ろう」

そう感じてもらって、少しでもあなたの支えや人生のきっかけになれればとても幸せなことだと僕は思う。

 

 

 

僕は一度、今までの人生と決別した。

 

そして、2017年8月25日をもって本格的に僕の第二の人生は動き始めた。

 

僕を信じてくれる全ての人の「支え」や「きっかけ」になることを心に決めて。